障がい者、健常者が共に海を楽しめる「海のバリアフリーまつり」開催や、マリーナのバリアフリー化を推進するなど、全国的にもユニークな取組みを行い、誰もが安全に海を楽しめる環境づくりに取り組んだ点を高く評価され、平成25年に国土交通省バリアフリー化推進功労者大臣表彰を受賞した特定非営利活動法人「海の達人」が、車いす使用者とともにセーリングクルーザーによるオーバーナイトを含むクルージングを実施した。
伊勢湾奥部に位置するマリーナ河芸(三重県津市河芸町)から熊野灘のちょうど中間に位置する鬼ヶ城までの“バリフリクルージング”レポートが届いた。
レポート:社会福祉法人AJU自立の家 江戸 徹
写真:NPO法人海の達人
台風で予定が2回延期された今回のクルーズ。10月17日(土)午後10時、乗船開始。
車いす利用の森田薫之さんと私が、メインハリヤードを利用した特製のリフトで、ヨットに乗船したら出航準備完了だ。
航海の頼りはベテランヨットマン井上季郎さん、ナビゲーターの水谷節生さんの二人で、障がいのある小林宗夫さん、我々をサポートしてくれるAJUの白井尚さん、今回使用のヨット「キャプテン55」の服部正樹オーナー、その友人の山本聖司さんの7名という顔ぶれだ。
主催のNPO法人海の達人の大野木博久さんは陸路を移動し、目的地で迎えてくれるという段取りだ。
高さ約80m、周囲約550m、巨大な楯が突き立てられたような大岩壁、楯ケ崎
楯ケ崎をバックに海の達人とAJUのメンバー。
10月18日(日)午前0時出航。風はマリーナを取り巻くパームツリーがわずかにざわめく程度、まずまずだ。不規則な揺れに身体を保持するために、コクピットにはハーネス用のフックが取り付けてくれてあるので、とても安心な上、居心地も良くしてくれている。しばらくすると上限の月が上ってきた。
“バリフリ”の外洋版として、大海で星月夜を迎えたいという願いがいきなり現実になった。月、星、流れ星に飛行機や人工衛星まで、外洋での天空ショーは飽きることがない。
ヨット「キャプテン55」は“バリフリまつり”での体験乗船としても活用されていて、オーナー曰く「吹いた時の方がその実力が出るヨット」だそうで、その性能は今回も復路でも十二分に発揮されたといえる
やがて4時近くになると行きかう本船の数が多くなってきた。いよいよ伊勢湾から熊野灘だ。不規則にさえ思えてしまう幾多の燈台の明滅、満天の星、さわやかな秋風をうけて快走するヨットが立てる波音。『伊勢の神埼、国崎の鎧、波切の大王なけりゃよい』 、服部さんが教えてくれた船乗り語録が頭に浮かぶ。果たしてこれは現実なのか。
出航前に飲み過ぎたという山本さんがようやく起きてきて、コーヒーを淹れてくれた。相当量混入している粉を「っぷ」と出しながらモーニングコーヒーを味わう。刻々と変わる陸の風景、秋空。夢心地でいると、井上さんの雄たけびで現実に戻る。「カジキだ!」大型回遊魚のカジキが飛び跳ねたというから、びっくり。指さす方向に目を凝らしてみるが、あいにく幻に終わった。
岬を回りこんで目的地の磯崎の港に舫いを取る。ここは、大野木さんが以前から漁港との交渉を積み重ねてきたおかげによるものだ。海を見下ろす宿で、無事往路完走の祝杯をあげ、明日のために早々に就寝となった。
南西に開いた磯崎漁港は、山々に囲まれた良港といえる。こうした港を巡ってのクルージングこそ至福だ。ただし通常、プレジャーボートは迎えていないので注意
2日目、10月19日(日)は、同じ道を戻るのだが、風景が違って見えるのは不思議な感じだ。機走とセーリングを繰り返しながら大王崎に針路をとる。
ヨットの大型アイスボックスには、刻んだ野菜等がビニールに小分けされている。波が悪く、復路乗船のマリーナスタッフ・中川弥沙さん考案によるその献立の実現は難しい。
お奨めの八宝菜はあきらめて、残っていた昨日のおにぎりをばらして、ウィンナーを小切りにして炒めた即席チャーハンが、コップに盛られて出てきた。しかも割り箸だ。中川さんの背が丸い。「すいませ~ん、積むの忘れました」。食材準備に全力をかけてきた結果で、それも問題なし。海の上でかきこむ食事はうまい。キャプテン55の特製おにぎりチャーハンだ。
中川さんは鳥羽高等商船卒業というだけあって、陸影を見ながら地名や岬の名を教えてくれる。
大王を過ぎてしばらくのちに内側に針路を取り、日が暮れていくなか、菅島、答志島の内側の水路に向かう。GPSやデジタルチャートで確認しながらでも、行きかう水上バス、本船に加え、島々が作る迷路のような水道を進むのは緊張の連続だ。われわれも、この時とばかりは一役買おうと見張りに徹した。
陸からヨットへ、ヨットから陸へ。何よりもしっかりした係留設備が前提だが、車いす利用者の移動には、それなりの試行錯誤の末のアイデアが凝縮されている。ボースンチェアではすぐに、着も脱もしにくい結果、オリジナルのリフト器具が開発、製造されている。
まもなく日付が変わろうとしている時刻に、無事、舫いをとった。往復約180マイルの航海を終えて戻った真夜中のマリーナは、とても静かだ。気持ちの高ぶりを抑えてみんな淡々と片づけを済ませ、帰り支度をする。
駐車場では、もう次のクルージングの話が始まった。「やっぱり島に行ってみたいですね」と森田さん。私も同様だ。もちろん、オーバーナイトのセーリングでだ。伊豆七島のどこでもいいから、島に上陸したい。夏の海では曳波が夜光虫で彩られ、航海燈をめがけてくるイカやトビウオがデッキに上がっていることも珍しくない、そんな話を聞かされたら、なんとしでも、再び、いや三たびでも夜のクルージングを実現したいと思う。
そのためには、100%ゲストとしてではなく、私たちにできることを探そう、やろうと森田さんとも話し合った。これからはナビゲーションや私たちにできることを身に着けて参加したいと思う。どうか、海の達人の皆さんをはじめお付き合いください。よろしくお願いします。ありがとうございました。
江戸 徹
中学生の時はボクシング部に所属して、いまでいうジュニアフライ級で新人王にもなりました。卒業してからはけっこうのめりこんでいたバイクで事故を起こし、やむなく車いす生活を送ることになりました。
海の無い岐阜県の水辺の施設で、私の所属する“楽しくなければ福祉じゃない”を合言葉に活動するAJUに物販をしてみないかと話を持ちかけられたのが、マリーナ河芸とのご縁の始まりです。そこでマリンレジャーに触れ、自由に動けるフィールドが広がることに大きな魅力を感じました。
桟橋からボートに移すためのクレーン等、まだ障がい者用の設備が何も整備されていない時期に、「海のバリアフリーまつり」を主催する「海の達人」の大野木理事長、ダイイチの服部社長の応援もあって、すぐにボート免許を取得しました。バイクで走ったときのそう快感、それ以上の歓びと出会えたことを実感しました。
2013年にヨット「キャプテン55」での河芸から八丈島へのクルージング話を聞かされ、是が非でも夜通し海を走るなんていう体験をしてみたいと、血が騒ぎました。たくさんの迷惑もかけるだろうし、怪我をする確率も高くなる。すぐにそんなことが思い浮かびましたが、不安やリスク以上に、体験してみたい気持ちが勝ったのです。
すぐに海の達人のメンバーが協力してくれて、陸からヨットへの移動のための工具の開発とその手順をシミュレーションして本番に備えました。
森田さんも、小林さんも私も、人生半ばで人の補助や車いすに頼る生活になりました。
日々、できる限り自力で生活することを心がけ、できることならば楽しさ、歓び、感動の領域を広げていきたいという欲があります。
その気持ちを共有してくれているのが海の達人の活動であり、メンバーの皆さんです。